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青春の光と闇~【自分史】高校時代「暗闇を超えた先にあった絵に描いたような青春」しゃべりんだvol.53~

こんばんは! ランラン(@southern0921)です。
さて、お正月気分も抜けたところで、止まっていた自分史シリーズ、再開していきましょうか!

前回はこちら。自分で言うのも恥ずかしいところではありますが、あまりに対照的な人生でしたね。。。

闇から学び取る(or沈み込む)青春前夜~【自分史】小学校高学年~中学校「初めての暗黒期、君はよく頑張った。」しゃべりんだvol.52~

では今回もやっていきましょう。


【自分史】高校時代「暗闇を超えた先にあった絵に描いたような青春」しゃべりんだvol.53

<オープニング>

一人でしゃべるの、よくやっているなあ!

めでたくアップロード動画で200になりました!

順調におしゃべりをして、皆様と日々を楽しく過ごしていきたい。

<本題>

中学時代の心残り
アルペンスキーで全国大会行ったりしている中で、得意種目で大転倒し、全国大会を逃してしまったこと。

東京の大学に行くことを狙い、地元の進学校へ進んだ。

みんな面白かった。勉強も、部活も、一生懸命で楽しかった。

恋愛はなかったけど、THE青春。

仲のいい友達ができた

硬式テニス部と女子サッカー愛好会にいた。

硬式テニスを選んだのは、スキーとテニスの相性がよく、

女子サッカー愛好会を選んだのは、昔からサッカーやってたから。友達と一緒にやろうと立ち上げた。

アルペンスキーもやっていたが、インターハイを逃して、涙を流す。
スキーは二本やって、合計タイムで競われる。
一本目のタイムで
二本目にスキーをより真剣にやっている人に抜かれて、逃した。

スキーと勉強のどっちかにしようと思った。勉強もやっていきたいと思うようになり、スキー引退。

文化祭が楽しい!
準備を通して、クラスの仲が深まって楽しかった。

高校三年生の夏。高校生クイズ出場。
青森代表として全国大会に出場すること。
オリエンタルラジオの目に留まる。詳しくはこちら。

元々は受験するつもりだったが指定校推薦を獲得し、書類試験だけで大学進学が決定。

国公立大学に行くことが当たり前の世界で、東京の大学に行きたい! ということを優先した。

高校時代でも外交的な自分だったと思う。

教える先生が上手だったので、物理が得意だった。
見習って、明るく楽しく元気になるラジオをお届けするよ。

以上がラジオの内容です。

いろんな人に囲まれて、いっぱい笑い声をあげて進んでいくりんださん。
想像するだけでこちらまでにこりと微笑ませてくれるのですね。

やっぱり光は憧れるなあ。

じゃ、私の高校時代も振り返ってみよう。
と思い出してみたのだけど、出るわ出るわ闇の世界。

なんでこうなるの!!!

中学の卒業式の時に宗教の本を渡された私は、宗教だと気づきながら、その世界に惚れ込むことになり、その宗教の出版物を自分でとるようになった。図書館ではその宗教に関する批判本を中心に片っ端から読み、その宗教についての見識を深める。そんな生活を3年続ける。ちなみに抜け出た理由は、他宗教への批判が同じものであることに気づき、批判による精神統一、仮想敵を作ることでの意思統一を感じ、嫌気がさしたため。
一方で、教育と宗教の関係について悩むようになる。宗教本を渡してきた先生の立場のことを考えていた。特定の宗教の教えを教師という立場で伝えて本当にいいのか? 憲法違反ではないのか、と真剣に考える。しかし先生の親がそもそも宗教に入っており、先生の環境が生まれた時からずっと宗教の教えがある環境であり、自分の意志で入ったわけではないことを知り、そもそも宗教の教えがその先生にとって当たり前のことであり、よっぽどでない限り、疑うこと、ましてや否定することができないものだと分かって、もう無理もないという結論に至る。

あまりに、あまりに、自我形成に宗教が入り込んでいる状態だった。その先生も悩んでいることもあると教えてくれたのだが、きっとその状態から抜け出すのは相当な苦痛を伴うし、出なければいけない状況でもなかっただろうし。今振り返っても考えさせられる一件である。

さて、本題に戻ろう。

私の行った高校は地元で名が通る進学校だった。

高校1年生から少しの光と圧倒的な闇だった。
自己紹介の時に、「出しゃばってしまうところがあるけれど、よろしくお願いします」と言って、1年間クラスの半分に嘲笑され続けるいじめを受けた。
「自己紹介で欠点を話すバカはいないよね」
聞こえるように言ってきたことは今でも忘れられない。
進学校だからって人間ができているわけじゃないんだなと学んだ。

小説書くのが好きってことも言ったので、友達もできた。

部活は演劇部。役者をやりたかったから。半年ほどで先輩の喧嘩で分裂。
当時の私は、喧嘩の結果はどうでもよく、部活から出ていくということを相当深く憎んでおり、部活に残る。しかし残ったら残ったで、存在を雑に扱われており、役者はできたけど、耐える日々であった。

演劇部の活動が落ち着いた頃に、離れていった人たちの劇を見に行ったが、実に楽しそうだった。憎しみが消え、これだったら出ておけばよかったぜ、と思った。この経験が大学時代のとある出来事の判断に影響を与えた。

1年生が終わる頃に、いじめを日直の雑記にて告白。その翌日から二日間不登校を決行し、最終日に、担任の先生がクラス全員との和解の会を強制的に開く。先生は「気付けなくて、ショックだった」と言っていた。その中でクラス全員と握手を交わすという類稀な経験をする。

高校2年生。ショックの日々。
先輩の引退をきっかけに演劇部統合。新入生歓迎会で一緒に劇をすることになったが、当日、離れていっていた先輩が劇をやる前にダンスを披露。何も聞いてなかった私。終わった後に、私に言うと怒るからということで、黙っていたと謝られる。

文芸部を兼部する。小説を書くが、やはり悪堕ち小説を書き殴り、楽しむ。高校内で冊子発行をしており、小説を載せてもらう。

夏の演劇が、いわゆるインターハイ出場をかけているようなもので、重要なものだった。しかし状況把握が下手だったことと後輩に非常に役者がうまい人がいて、いつの間にか演出家になっていた。「なんで役者じゃないのか?」その疑問が解けないまま、しかし誰にも相談できずに涙を流す日々。精神的にフラフラだったが、耐えていた。

そんな折、サザンのシークレットライブを引き当てる。しかし仲良くしていた矯正歯科の看護師さんもサザンのファンで、話したところ、譲ってほしいといわれて、理由は忘れたが、譲る。席が最前列だったことが後で分かる。ショックだった。

秋の演劇ではオークションをやり、恥ずかしがって思い切りを発揮できず、何とかチョイ役をゲットする。しかし最後の役のオークションで残り二人だったのだが、同時に合格をもらう事態になり、おこぼれでもらった気がして、数日内心怒っていた。先生になだめてもらい、役を頑張ってみるものの、本番で道具の銃が発砲できないアクシデントに見舞われ、悔しい思いをする。

冬の演劇で引退。高校のイベントで、3年生を送る会で劇を披露した。私が出てきたところで、同学年からどっと笑いが起きる。おそらくいじめをしていた人たちを中心に「わー。出てきた出てきた!」みたいなノリで笑っていたのを分かっていたのだが、これが逆に功をなし、私だけでなく他の人たちが笑いのネタをするたびにドッカンドッカン笑いが会場中に広がったため、成功を収める。事情を知らない演劇部員が「よかった! すごい!」と言っていた。苦しいことが初めて益になった瞬間だったし、これでいじめを昇華できた。

高校3年生。闇に消えた光。

3年生になって間もない頃、1年生でできた友達から絶交される。原因は、私が自分の意見を言わずに合わせるばかりだったから。しかし私は問題を認識できなかった。「なぜこうなったんだろう?」という気持ちがいっぱいになり、何が悪いのか認識できなかった。嫌われるのが怖くて、自分の希望を言わなかったのだが、逆に嫌われるという状況になった。すったもんだがあったが、結局、友達が私を「理解できないものだ」と見限り、絶交を解くことでその場は収まる形になった。しかし、当然のことながら、根本的な解決になっていないことは自明のことである。
生徒会の書記に立候補し、中学時代にお互いに生徒会の選挙でライバルになっていた人と一緒に仕事ができた。生徒会長になった彼は、不思議な雰囲気を持つ人で、中身をいい意味でつかませない人だった。演説では、身近なものを例えに出し、心を掴むものが多かった。

文芸部で1年に渡り、悪堕ち小説を連載する。ひたすら楽しかった。「外れた道」というタイトルだったのだが、私の中で確固たる代表作である。
その裏で、上述の生徒会長が文芸部を「存在の意味がないから」と潰そうとして断念した、と後から聞いた。理由は、私がいたから。いつの間にか守っていたらしい。

受験勉強していたが、なんだかやる気がなかなか出なかった。

そんな中、サザンの茅ヶ崎ライブを引き当てる。しかしこれもまた上述の看護師さんに譲った。受験勉強しないと、って遠慮してしまった。パンフレットを買ってきてもらうが、それを見て、後悔が募った。行きたかったはずなのに。

秋の体育祭で応援副団長をやっていた。私の声がやたらと大きかったこともあり、ほかの軍からも一目置かれていた。私の高校は文化祭2日間+体育祭1日というセットで行われていた。その中で、その年の代表的な母校生の男女を選ぶ企画があったのだが、情報漏洩により中止。実は女性代表が私だった、と後で聞いた。中止になった事実が悲しかった。

受験生であるあるなのが、「勉強してないから、私」と言いながら、実はしっかり勉強しているという現実。軽い人間不信になった。

受験は頑張った。マークシート試験についてはそこそこ行けた。過去問さえ解いていれば、なんとなく傾向が読めてくるので、選択式だし、何とかなった。それで私立のすべり止めに受かる。

しかし本命の大阪の某国立大学には前期も後期も落ちた。記述式や小論文が苦手だった。

そうして、すべり止めの大学進学が決まった。

なんかおかしいな、私の人生。

といったところで本日のブログはこれにて。
次回の更新もお楽しみに♪

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